物語の世界に「新型コロナ」を持ち込むことの是非

2022年10月22日コラム新型コロナウイルス感染症

コロナ禍に突入してはや3年。
マスク、会食、ソーシャルディスタンス、リモート。
新型コロナウイルスの蔓延と共に社会は様変わりした。
多くの人にとってそれは決して好ましいものではなかったと思う。
尤も私のように友人が少なく、引きこもりで、コロナ禍の生活こそ自分に合っていると思った人もゼロではないだろう。

そんな新型コロナウイルスではあるが、現実世界のみならず、作品の中の世界にも影響をもたらした。

その1つが、新型コロナウイルスや新型コロナの蔓延によって変容した社会などを題材に描いた作品群の登場だろう。
例えば私はまだ読めていないが、

これらの作品は、新型コロナウイルスが流行したからこそ生まれた作品であると言えよう。

これらの作品に何ら文句を言うつもりはない。
むしろ素晴らしいとさえ思う。
未だコロナ禍でありながらも、新型コロナを題材として昇華し、作品を作り上げ、読者を楽しませてくれる。
その姿勢を称賛こそすれ、何故批判できようか。

私がここで扱いたいのはあくまで、
コロナ禍以前から続いていた作品の中に「新型コロナ」を持ち込むことの是非である。

今まで続いていた作品に、世界がコロナ禍になったからと、安易に新型コロナを持ち込むことについて、私は疑念を呈したい。

もちろん作中に新型コロナを持ち込むことによって、むしろ物語に深みが増し面白くなった作品も多数存在する。
一例を上げるのであれば『日和ちゃんのお願いは絶対』などはその最たる例であると思う。

所謂セカイ系の作品であり、物語の中の世界は滅亡へと向かっている。
この作品は1巻がちょうどコロナ禍に突入した頃に発売されたのだが、3巻で作中に新型コロナが登場した。
しかしこれは当然のことである。
「滅びに向かう世界」を描く作品の中に、現実の世界で生じた「滅びに向かうかもしれない事象」を登場させることは、作品のリアリティを向上させる意味でも、むしろ必須であるとすら言えよう。

あるいは不朽の名作漫画である『島耕作シリーズ』。
こちらは『相談役島耕作4』で、島耕作自身が陽性となる。

しかし、こちらも作中に新型コロナを持ち込むのは当然である。
何故ならば、この40年近く続くこの作品はバブル崩壊や東日本大震災など、その時その時の社会情勢を作中に反映させてきた作品だからだ。
むしろここで新型コロナを作中に持ち込まないのであれば、それこそ不自然だ。

私が言いたいのは単純に、新型コロナを作中の世界に持ち込む必要性がなく、むしろ持ち込むことによって質を落としている作品についてだ。
炎上するのが怖いので具体的な作品名については避けるが、皆様にも心当たりがあるのではないだろうか?
作品を読んでいて
「あれ?この作品ってコロナ持ち込む必要あった?」と感じたりすることが。

新型コロナウイルス、コロナ禍は社会にマスクや会食禁止、ソーシャルディスタンスといったものを形作らせた。
しかし、物語を描くということにおいて、これらは一般的に支障にしかなり得ない。

・人との出会いがない。
・登場人物同士が食事に行くことが出来ない。
・自粛生活で外に出ずイベントが発生しない。
・登場人物同士が濃厚接触(意味深)できない。

などだ。

前述のように、こうしたデメリットを受け入れてでも新型コロナを描くことによって、面白くなった作品は多分に存在する。
しかし、こうしたデメリットをデメリットのまま受け入れ、つまらなくなった作品もまた存在する。
コロナ禍でありながら、物語を進めるために感染リスクなどを無視した行動を取る登場人物達。
作品のリアリティが薄れるし、何より作品の中の世界ではきっと大炎上するはずだ。

社会は新型コロナウイルスによって変容した。
そのことは紛れもない事実である。
しかし、ことコロナ禍以前から続く作品については、現実世界との乖離を無視してでも、作中に新型コロナを登場させないという選択が正しいことも往々にしてあるのではないだろうか。

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自称システムエンジニアのくせに、農学系の地方国立大に通うおかしな生き物。 ひつぎ教育研究所社長。 好物は恋愛小説と生物学、哲学。BL以外はなんでも読む雑食。 一応、将棋のアマ二段。